放射能: 2011年7月アーカイブ

福島第一原子力発電所が起こした人類史上最悪の事故による被害や損害を加害企業である東京電力に請求することができます。

日本の法律では人に損害を与えた場合は当然それを弁償または賠償する義務が存在します。

どれだけ賠償されるかはまだ不明ですが、原発事故が起きなければ発生することのなかった費用(避難や疎開にかかった費用や浄水器の購入費、マスクや合羽の購入費、レメディの購入費、、放射能汚染による健康被害に関する治療費、慰謝料etc)を請求しましょう!

福島県の避難地域でなくても放射能が理由で避難した方は請求できます。

東京電力コールセンター(0120-926-404)へ電話すると書類を送付してくれるとの事です。私も電話しました。

飛行機などの領収証は必ず取っておいて下さい。また、書類を東電に提出する際は領収証のコピーを残しておくことが必要です。

下山田吉成



福島県下の土壌中の放射性ストロンチウムの測定結果 - の地図可視化 w.
詳細解説 → http://t.co/wnd1sCH [公式RT元]


ストロンチウム90は体内でカルシウムに似た振る舞いをするため骨に蓄積されβ線を放射し続けます。
物理的半減期は28.8年ですが、体内(骨)に取り込まれた場合の生物学的半減期は50年ととても長いのが特徴です。

そのためこれまで日本人のカルシウム供給源として有力であった小魚やシラスなどの骨格部分は311以降はかなり汚染されていると考えられます。

キャベツの結球部分ではない外側の葉に約90%のストロンチウム90が存在するというデータもあります。

また、人体の骨の無機質層に蓄積されたストロンチウム90は長期間にわたってβ線を出し続けるため、骨や骨髄の細胞のDNAを破壊し、白血病を発生させることが懸念されています。

ストロンチウム90はホールボディカウンターでは検出されません

また、セシウムと違って水に溶けて地下に深く浸透するため地下水の汚染が危惧されます。


下山田吉成

『グリーンコープは独自の放射能検査を実施し、厳しい基準値(放射性セシウム10ベクレル/kg)をクリアした原材料・商品を扱っている』
(国内のセシウム制限基準は500ベクレルなので、50分の1を制限値としている)
http://j.mp/k7mTBl


一体500ベクレル/kg以下のどこが安全なのでしょうか?

もともと0ベクレル/kgのはずの放射能が、500ベクレルまでなら安全だとなぜ言えるのでしょうか?

安全性の根拠はどこにあるのでしょうか?


こんな馬鹿げた基準値を国民に押し付ける役人や政治家たちは、本当に愚かで無知なのでしょうか?

いや、おそらくそうではないはずです。

本当は放射能の危険性をある程度は知っているのですが、安全性の高い基準値で運用すると広大な農地が使えなくなり食糧が供給できなくなるため、国民が危険にさらされるのを承知で高い基準値を設けたと見るのが妥当でしょう。

放射能による健康障害は医学的に解明されていないことが多く、「直ちに」病気になるわけではない(というデマが信じられている)し、仮に何か起きても因果関係が証明されにくく、被曝による健康被害を訴えても原発訴訟と一緒で裁判所は国の味方だから結局は原子力村の連中は何の責任もとらずに逃げ切る算段なのでしょう。

広島や長崎の原爆訴訟でも国はヒバクシャの内部被曝を認めていないし、裁判所もその意見を支持しています。

これから起こる健康問題の大部分は内部被曝による病気であることを知っておかなければいけません。

内部被曝を最小限に食い止めるには、安全性の高い食べ物を選んで摂取することが望まれます。

それも放射能だけに限らず、農薬や化学肥料、遺伝子操作、食品添加物なども視野に入れた総合的な食の安全性を検証する必要があるのです。


下山田吉成
少し古い情報ですが5月17日に郡山市で開かれた内部被ばくに関するの講演会での、市民からの質問や不安に矢ヶ崎克馬・琉球大名誉教授が答えています。


Q 晩発障害は必ず起こる?

A 起こる。特に放射線の感受性が高い子どもや妊婦、若者、感染症患者が心配だ。環境が整っているのであれば避難を勧めたい。一方で、子孫のため に土地
に残って頑張ろうとしている人も多い。外に出る人を許して、残る人は防護を尽くすことが大切だ。

当該リンク
「内部被曝について郡山市民の質問への回答」矢ヶ崎克馬・琉球大名誉教授
http://savechild.net/?p=2144


それとは別に鼻血・下痢・発疹は被曝症状、スリーマイルでも隠ぺいされたα線・β線核種、IAEAとWHOの癒着で世界はおかしくなったetc。

http://onihutari.blog60.fc2.com/blog-entry-54.html


外部被曝と内部被曝をわかりやすく学ぼう
http://savechild.net/?p=2128


小出裕章 (京大助教) 非公式まとめ
http://hiroakikoide.wordpress.com/



下山田吉成


ナターシャ グジーさんというウクライナ出身の女性歌手の存在を知ったのは最近のことです。

父親はチェルノブイリ原発で働いており、彼女は6才の時にチェルノブイリ原子力発電所からわずか3.5kmしか離れていない故郷の村で原発事故に遭ったそうです。

しかし政府は丸1日の間事故のあったことを地域住民に知らせなかったため、人々は何も気づかずに普段通りの生活をしていたのです。

人類史上最悪と言われるチェルノブイリ原発事故は1986年4月26日01:23頃に発生しましたが、それから約1日の間、ゴルバチョフ書記長をはじめとする当時のソ連政府の主だった高官たちがことごとく雲隠れして音信不通になり、ソ連は無政府状態に陥っていました。

その間、高官たちは自らの家族や親戚たちを安全な場所に避難させる手配に骨を折っていたと言われています。

「これこそが共産主義やノーベル平和賞の正体!」などという話はあまりにも悲し過ぎるので今日はやめておきます。

ただはっきりしていることは、その原発事故のために現地だけでなく世界中でたくさんの人々が放射能のために病み、死んでいったという事実です。
ナターシャも父親や友人たちを被曝のために失い、事故の翌日に「3日間だけの避難」と言われて村を出たきり二度と戻ることはなかったそうです。


ナターシャは8才頃からバンドゥーラという弦楽器を弾きはじめ、来日してからは日本語で弾き語りをするようになりました。

2008年にNHK教育テレビの「視点・論点」に出演した時の映像をYouTubeで観ることができます。

演奏に先立つ彼女のスピーチと歌われた「いつも何度でも」が強く胸に迫ってきます。


http://m.youtube.com/watch?desktop_uri=http%3A%2F%2Fwww.youtube.com%2Fwatch%3Fv%3Dry_WACFd8Ds&v=ry_WACFd8Ds&gl=JP


 いつも何度でも  

作詞 覚 和歌子
作曲 木村 弓


呼んでいる 胸のどこか奥で
いつも心躍る 夢を見たい

かなしみは 数えきれないけれど
その向こうできっとあなたに会える

繰り返すあやまちのそのたび ひとは
ただ青い空の 青さを知る

果てしなく 道は続いて見えるけれど
この両手は 光を抱ける


さよならのときの 静かな胸
ゼロになるからだが耳をすませる

生きている不思議
死んでいく不思議
花も風も街も みんなおなじ

ララランランラランラーーーランランララン
ララララランランララランラララランラララララ
ホホホホホホホホルンルンルンルフフフフフ
ルルルルルンルルルーンルルルー


呼んでいる 胸のどこか奥で
いつも何度でも 夢を描こう

かなしみの数を 言い尽くすより
同じくちびるで そっとうたおう

閉じていく思い出のそのなかにいつも
忘れたくない ささやきを聞く

こなごなに砕かれた鏡の上にも
新しい景色が 映される

はじまりの朝の 静かな窓
ゼロになるからだ 充たされてゆけ

海の彼方には もう探さない
輝くものは いつもここに
わたしのなかに
見つけられたから

ララランランラランラーーーランランララン
ララララランランララランラララランラララララ
ホホホホホホホホルンルンルンルフフフフフ
ルルルルルンルルルーンルルルー 




この歌は元々2000年頃にスタジオ ジブリで企画のあった「煙突描きのリン」というアニメ映画のために作られた曲だったそうです。

この「煙突描きのリン」は結局ボツになり歌だけが残りましたが、宮崎駿氏が次のジブリ作品「千と千尋の神隠し」の主題歌に採用して世に出たわけです。


ボツになった「煙突描きのリン」は、群発地震に襲われて瓦礫の街と化した東京のある町に唯一残った銭湯に、絵の勉強のために大阪からやってきた女の子「リン」が煙突に絵を描くことを条件に住み込んで、屋根の上から廃墟となった東京の街を見下ろして煙突に絵を描きながら「いつも何度でも」を口ずさむというストーリーだったそうです。


この歌は、大地震の被災地を舞台に文明の崩壊と再生を描く映画の主題歌として作られたという出自と、ナターシャ グジーという私たちと同じヒバクシャによって歌われたという2つの要素が化学反応を起こして新しい命が吹き込まれ、大震災と原発事故の被害に苦しむ現在の私たち日本人の心に感応するのではないでしょうか。


最後の、

「輝くものは いつもここに
わたしのなかに
見つけられたから」

というフレーズは、生きてゆく力が自分自身の中にあることを発見した喜びにあふれていてとても好きです。

 

下山田吉成