メリー・ゴー・ラウンド

個人の内的な葛藤や否定的想念が現実世界に具象化するという法則があります。

同じように個人の内的な愛や肯定的想念が現実世界に具象化するという法則も存在します。

つまり私たち一人一人の内実が顕在化しているのがこの現象界であるということです。

今回このような大きな事象(大地震&原発事故)が起きたということは、日本人全員の想念の総和がこのような現実を生み出したということを示しています。

現象としての事実に優劣や善悪はありませんが、もしあるとすれば個々の信念や価値観に基づく見解でしょう。

しかしそれらの見解はメガネのレンズに付着した汚れのようなものであって、あるがままの事実認識を妨げる元凶となります。

それでも人はよりよい未来を信じることをやめられないし、だからこそ電力会社や政府や宗教団体にだまされ続けるわけですが、魂が成長するために必要な学習プロセスですから、それはそれでよいのです。

個人や社会や地球に何が起ころうと、それは「あるがままのもの」であって、私たちの一存で都合よく「あるべきもの」に捏造することはできません。

事実こそが至高の愛であり、思想や信念や宗教は事実をありのままに受容できない人たちが考え出した方便もしくは代償であると私は考えます。

そしてほとんどの人々がその方便や代償の奴隷になっているのです。

仮に原発がこの世界から全廃されたとしても、次の禍禍しいテクノロジーがすでに準備されています。

それが露見したならば私たちはまた反対運動をしなければならなくなります。こうして私たちの人生の時間とエネルギーのほとんどは何かとの対立に費やされ続けることになるのです。

善と悪や光と影の葛藤に終わりはありません。

私たちは希望と絶望や喜びと悲しみの間を行ったり来たりしているうちに人生を終えますが、どれだけ長生きしても何度生まれ変わろうともアップダウンを繰り返しながらグルグルと輪廻するメリーゴーランドに乗っているに過ぎません。

希望にも絶望にも執着しない、欲にも無欲にも執着しない、原発推進にも反原発にも執着しない、それらの全てを超越した心だけが本当の幸せを知覚することができるのです。


これは2500年くらい前に現在のインドで約50年間も大ボラを吹いていた人が亡くなる直前に言ったことらしいですが、私は個人的に結構気に入っています。

「諸行は無常であって是れは生滅の法である。この生と滅とを滅し已(おわっ)て生なく滅なきを寂滅(涅槃)という。寂滅とは本当の楽である。」


これを美しい日本語で詠んだものが空海作と伝えられる「いろは歌」です。


色は匂えど散りぬるを(諸行無常)

我が世誰ぞ常ならむ
 (是生滅法)

有為の奥山今日越えて(生滅滅已)

浅き夢見じ酔ひもせず(寂滅為楽)




あるがままのものがあるがままでありますように。



下山田 吉成
 
 

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