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100101_0703~0001.jpg太陽暦における2010年が始まりました。

日本は元旦の早朝に満月が部分月食するという不思議な年の幕開けでしたが、瑞兆であることを祈りたいほど世相も人間の健康状態も加速度的に悪化しています。

ご存じのように人類は自分たちが何世代もかけて作りあげた悲惨な現実に対して順応もしくは麻痺することで適応しようとしていますが、現状はもうこれ以上代償不能な「Uncompensated Place」に達しつつあります。

健康に関する問題で言えば、

うつ状態に対して抗うつ剤を服用しても表面的な改善はありますが精神状態そのものは根本的にさらに悪化してゆきます。現にうつ病患者数やうつによる自殺者数は減少していません。

心身の解毒や浄化を促す風邪やインフルエンザをワクチンや抗生物質・抗ウィルス剤などで抑圧した結果毒素や老廃物が蓄積され、ガンや脳卒中にかかる人が増大しています。

予防接種には効果がないばかりか、さまざまな毒と副作用があり、接種すると逆に免疫力が大幅に低下してさまざまな感染を引き起こしやすくなります。

帝王切開が2代続くと3代目は自力分娩がかなり難しくなると言われています。

不妊治療を何代も続けているといずれ生殖能力が極端に低い子孫ばかり誕生するようになるでしょう。

いずれも原因に対する根本解決をせずに対症療法で代償した結果起こるUncompensated Place(もうこれ以上代償できない行き止まりの状態)です。

問題と向き合わずに現代医学的治療や現代医学的薬物や依存や習慣で心身の葛藤をごまかそうとしても、肉体と精神は必ず行き詰まります。薬物治療などの代償的対症療法は新たな別の病苦を作り出すだけで、真の健康を回復することはありません。


昨年は芸能界の薬物汚染が問題になりましたが、国民一人当たりの向精神薬と抗生物質の使用量が日本人は世界一であることをご存じでしょうか?

つまり日本人は世界一薬物で汚染された民族であるわけですが、日本人のほとんどはそのことに無自覚です。

問題はそれだけではありません。

農作物は種子を遺伝子操作した上に大量の農薬(単位面積当たりの除草剤の使用量においても日本は世界一です)や化学肥料(過剰な窒素肥料の使用は野菜の中に高濃度の硝酸態窒素を形成します。硝酸態窒素は胃液と反応して高リスクな発ガン性物質になります。)を投入し、家畜にはその農業で作られた飼料と大量の抗生物質やホルモン剤などを与え、結果として出来た環境ホルモンたっぷりの農産物や肉や牛乳などは加工や調理の段階で更にものすごくたくさんの化学的な添加物を加えられてから私たちの口に入るのです。

さらに、このほかに原子力発電所や六ヶ所村の再処理工場などの核施設から放散される放射能による汚染や、自動車や工場から出される大量の排気ガス、工業排水、家庭からの洗剤やシャンプーなどに汚染された雑排水、ゴミを焼却することで発生する環境ダイオキシン、膨大な量の産業廃棄物etc........................これらの無数の人工的で不自然な汚染は空気と水と食物を通して全て私たちの体に入ってきます。

私たちはこれらの汚染にさらされながら日々の生活を営んでいますが、その生活そのものが日々新しい汚染を作り出しているのも事実です。

そして、それらの人為的汚染の結果生じた病気に対して先述したように有害な薬物投与を行うわけですから、常識的に考えていかに愚かしい異常な状況かおわかりになるでしょう。

しかも、これらは私たちを取り巻く問題のほんの一部に過ぎません。


私たちはどうしたらよいのでしょうか。前に進むことも後退することも困難な状況です。

私たちは「ここ」にとどまって現実と向き合うしかありません。

アセンションとかいう代償的幻想に逃避するのはやめましょう。

自らが作り出した不都合な状況から、エゴに基づく偏った食事法や性癖を免罪符に自分だけ逃れようとするあり方はとうていスピリチュアルとは言い難い偽善です。

この濁世が浄土に変容することが真のアセンションではないでしょうか。



「どうしたらよいのですか?」と人にきくのもやめましょう。

私たちが存在している「いま」という時空は代償不全の行き止まりです。

もう死にそうなくらい衰弱しているのに、まだ抗ガン剤を飲みますか?それを決めるのに誰かの意見が必要ですか?

人間やめますか?
薬やめますか?

その答えは自分自身の「いのち」が知っています。


私たちは内的にも外的にも破滅しかけており、誰かの意見に感心したり反対しているような暢気な場合ではないのですが、それが実感できるでしょうか。


真の気づき、真の理解、真の癒し、真の智慧、真の愛、真の発見、真の強さ......これら真なる徳性は全て自らの内奥から湧き出てきます。


私たちが問うべき相手はただ一人、自分自身です。

自らの「いのち」に対する真摯な問いかけだけが、私たちを真実に目覚めさせてくれることでしょう。


2010年1月8日

下山田 吉成

 

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