私の田んぼは国道128号線から200mくらい海側に入ったところにある。
田んぼのすぐ隣は知る人ぞ知るハーレーダビッドソン専門のバイクショップで、排気量が1450ccもある巨大なエンジンを搭載したバイクが轟音をたてながら修理にやってくる。
私はそんなインダストリアルな光景の傍らで最も原始的な農法(自然農)による稲作りにいそしんでいる。
この時期は草刈りと、田植えのラストスパートに余念がない。
品種によっても多少異なるが、昨年も種まきが4月上旬~下旬で、田植えが終了したのが7月末で、稲の花が咲いたのが9月初旬~半ば過ぎで、稲刈りは11月から始まって最後は12月8日だった。
温暖化の影響もあるが、ひもろぎ庵における古代稲の露地栽培のスケジュールはこのようなものである。
地元の慣行栽培の稲作農家は4月の半ばから下旬頃に田植えをして、早稲種ならお盆には新米を食べている。
稲は現代的な品種ほど収量が多く生育期間が短い。
現代的な稲の品種が播種から収穫までの期間が4~5ヶ月なのに対し、古代稲は6~8ヶ月かかるが収量は半分以下である。
水田から取り出すことのできるエネルギーを米に置き換えるならば、稲が陽光(火)と水と泥(地)と大気(風)の四大元素を4ヶ月間吸収し錬金した米を一反(1000平方メートル)当たり500kg(玄米重)収穫する現代の稲と、8ヶ月間かけて成長した古代米を250kg(玄米重)収穫した場合の違いをどう考えることができるだろうか?
私はこう解釈する。
古代稲の生育期間が2倍ということは吸収したエネルギーも2倍ということである。
しかし収量が半分ということは米1粒の大きさが同じだと仮定すれば、単純に計算して古代米は1粒当たり現代米の4倍のエネルギーを持っていると考えてよい。
つまり古代米は現代米の4分の1の摂取量で同等のエネルギーを補給することができるということになる。
古代米は少量食べるだけで気が充足するので、たくさん食べる必要がない。
必然的に消化器官の負担は少なくなり体は軽くなる。
元気に長寿を保っている方々の共通項のひとつに少食という要素がある。
たくさん食べるということは消化器を含む内臓全体に大きな負担を強いるため寿命の限界が早まるが、質の高い(エネルギーの高い)食物を少量食べることは内臓の負担が少なく健康長寿につながる。
稲に限らず農業の分野における品種改良は、収量の増加を第一目的に行われてきたことは歴史的な事実である。
味がどうのこうのと言い始めたのはここ30~40年くらいのことであり、それまでの数万年間はいつも腹をすかせながら腹一杯食べることを夢見てきたというのが日本人の実態なのだ。
「衣食足りて礼節を知る」という言葉があるが、空腹が満たされて初めて食の質を問うことができるのかもしれない。
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