ひもろぎ庵: 2009年7月アーカイブ

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私の田んぼは国道128号線から200mくらい海側に入ったところにある。

田んぼのすぐ隣は知る人ぞ知るハーレーダビッドソン専門のバイクショップで、排気量が1450ccもある巨大なエンジンを搭載したバイクが轟音をたてながら修理にやってくる。

私はそんなインダストリアルな光景の傍らで最も原始的な農法(自然農)による稲作りにいそしんでいる。

この時期は草刈りと、田植えのラストスパートに余念がない。

品種によっても多少異なるが、昨年も種まきが4月上旬~下旬で、田植えが終了したのが7月末で、稲の花が咲いたのが9月初旬~半ば過ぎで、稲刈りは11月から始まって最後は12月8日だった。

温暖化の影響もあるが、ひもろぎ庵における古代稲の露地栽培のスケジュールはこのようなものである。

地元の慣行栽培の稲作農家は4月の半ばから下旬頃に田植えをして、早稲種ならお盆には新米を食べている。

稲は現代的な品種ほど収量が多く生育期間が短い。


現代的な稲の品種が播種から収穫までの期間が4~5ヶ月なのに対し、古代稲は6~8ヶ月かかるが収量は半分以下である。

水田から取り出すことのできるエネルギーを米に置き換えるならば、稲が陽光(火)と水と泥(地)と大気(風)の四大元素を4ヶ月間吸収し錬金した米を一反(1000平方メートル)当たり500kg(玄米重)収穫する現代の稲と、8ヶ月間かけて成長した古代米を250kg(玄米重)収穫した場合の違いをどう考えることができるだろうか?

私はこう解釈する。

古代稲の生育期間が2倍ということは吸収したエネルギーも2倍ということである。

しかし収量が半分ということは米1粒の大きさが同じだと仮定すれば、単純に計算して古代米は1粒当たり現代米の4倍のエネルギーを持っていると考えてよい。

つまり古代米は現代米の4分の1の摂取量で同等のエネルギーを補給することができるということになる。

古代米は少量食べるだけで気が充足するので、たくさん食べる必要がない。
必然的に消化器官の負担は少なくなり体は軽くなる。

元気に長寿を保っている方々の共通項のひとつに少食という要素がある。

たくさん食べるということは消化器を含む内臓全体に大きな負担を強いるため寿命の限界が早まるが、質の高い(エネルギーの高い)食物を少量食べることは内臓の負担が少なく健康長寿につながる。

稲に限らず農業の分野における品種改良は、収量の増加を第一目的に行われてきたことは歴史的な事実である。
味がどうのこうのと言い始めたのはここ30~40年くらいのことであり、それまでの数万年間はいつも腹をすかせながら腹一杯食べることを夢見てきたというのが日本人の実態なのだ。

「衣食足りて礼節を知る」という言葉があるが、空腹が満たされて初めて食の質を問うことができるのかもしれない。

(福岡正信さんとハッピーヒル)

昨年8月16日に95歳で永眠された自然農法の開祖・福岡正信さんが残された遺産のひとつに「ハッピーヒル」という稲の品種がある。

ハッピー(福) ヒル(岡)と名付けられたこの稲は、大東亜戦争中にビルマから持ち帰られた稲と日本の在来種の稲を福岡さんが交配して作った新品種だと言われている。

穂が粟のようにたっぷりとした多収米で、その出自や生い立ちから考えて自然農法(不耕起・直播・無施肥・無農薬)に適していると思われる。

この春に、福岡さんの晩年にお手伝いをしていた関西に住む友人から「ハッピーヒルの種を増やして欲しい」との要請があり、引き受けることにした。

7年前にハッピーヒル1号を栽培したことはあったが、今回挑戦するのは福岡2号と3号だ。

何年も冷蔵庫の中で眠っていたというハッピーヒルの種を試験的に発芽させ、量が多く発芽率の高かった2号は乾田に直播きし、量が少なく発芽率が低かった3号はカップ播きして育てた苗をようやく6月下旬に田植えした。


(自然農との出会い)

私と自然農の出会いは人生第二の挫折を味わっていた20代後半にさかのぼる。

失意の日々に福岡さんの「わら一本の革命」を読むことによって、長年の溜飲が下がり前頭葉がすっきりするのを感じた。

私がずっと感じていた通り文明を作り上げた人智は全て根本的な誤謬で、自然のはたらきそのものが神であるという福岡さんの素朴な意見に心が震えた。

これは弟子になるしかない!と思ったが巻末にもう弟子はとらないとの但し書きがあり、がっかりしていた時に反原発運動の資料にと購入した「自然生活」(野草社刊)を読んで川口由一さんを知り、奈良まで会いに行ったのが自然農との邂逅になった。


(悟りは説明できない)

福岡さんとは生前に一度だけお会いして食事をしながらお話をうかがったことがある。

その時福岡さんは80代後半で、兵役中に傷めた膝の古傷が悪化したとのことで脚が不自由なご様子だったが、頭ははっきりしていた。

同席していた友人たち(当時福岡さんのお手伝いをしていた)に後から聞いたところによると、その日は機嫌が良かったとのことで私が持参した「わら一本の革命」に快くイラスト付きのサインをしてくれた。

知り合いに福岡さんから「帰れ!」と怒鳴られた人がおり、同様のエピソードが多い方だったので実際に会って別れるまでは「今日の天気」がよいこと(そして急変しないこと)を祈っていた。

会ってみるとご本人は飄々とした好好爺で、「文明が作り出したものは全て捨て去ってきたが、コーヒーだけはやめられなかった」とおっしゃっていた。

25歳の福岡さんに訪れたという夜明けの解脱体験について質問すると「もう忘れた」と答えられた。

それを聞いて「この人は本物だ」と思った。
もし「解脱の記憶」について話されたらとてもがっかりしたに違いない。
解脱とは少なくとも主観である自我が消失した状態なので、消失した自我にその状態を記憶できるはずがない。記憶しているとすれば自我が存在していたことになり解脱ではない。

また、解脱した結果得られるとされる「悟り」は無限なるものであり、限定された意味性によって規定される「言葉」で説明することは原理的に不可能である。悟りそのものを解説しようとする行為は偽物の特徴のひとつに違いない。

(教祖様のご神体に灸点を下ろす)

当時福岡さんは養生のために毎日お灸をしていたようで、主要なツボの付近に灸の跡が見られた。
私が鍼灸師ということでお弟子さんに請われて福岡さんの体に灸点を下ろした。(ツボに印をつけた)。

あの見事にはげ上がった英知の根源である頭のてっぺんの百会に、震える手で握った黒い油性マジックペンで印をつけたのは今となっては良い思い出だ。

(小さな鋸鎌)

私の自然農は「1に種まき、2に草刈り、3・4が無くて5に草刈り」というスタイルなので、草刈りに使うノコギリ鎌が最も大切な道具になる。

種を播き、草刈りをすることで耕さずとも野原が畑に、湿原が水田に変わる。

川口由一さんは大きなノコギリ鎌を器用に使って細かい草刈り作業も驚くほど上手にこなしていた。

私は不器用なので試行錯誤の末に一番小さいタイプのノコギリ鎌を使うようになった。

今では体の一部とまではいかないが、この道具にかなり馴染んでいる。

作業の中でも鎌を使う作業(草刈り、稲刈り)が一番好きかもしれない。

草をノコギリ鎌でサクッと刈る感触が何とも言えずこころよい。

自分の指をサクッと切ったことが何度もあるが、切れ味が良いと切った瞬間は全く痛くないし血も出ない。(しかし、少し経ってから出血とともに凄く痛くなる)。

福岡さんは「わら一本」で革命を起こすと世界に宣言したが、私は自然と人間を調和させるためにこの素朴な道具を用いて「かま一本の革命」を起こすことを宣誓する。

その革命は私の田畑、そして私の内側から静かに始まっている。

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