ひもろぎ庵: 2009年6月アーカイブ

(紀元2669年ひもろぎ庵の稲作)

千葉県いすみ市大原にあるひもろぎ庵の水田では先週までにようやく稲の直播きを終え、今週から次の作業段階である草刈りと田植えを開始しました。
ひもろぎ庵の稲作りはここ7年ほどは無農薬・無施肥・不耕起・直播き・補植(田植え)で行われています。

(ディープパープル)

今年は昨年までの失敗に教訓を得て、稲の不耕起直播き栽培にとっての最大の難関である早期の除草において、稲とよく似たノビエを明確に識別するために葉や茎が濃い紫色の稲(深紫稲)を試験的に播種しました。
この目論見は予想通りうまくいって、草ぼうぼうの水田の中に鮮やかなディープパープルが力強く萌えているのがはっきりと見えます。
おかげで草刈りの作業能率は飛躍的に向上し、稲を草と見間違えて刈ってしまうことはほとんどなくなりました。
深紫稲は米としての食味は悪くないし、病虫害にも強いので今後増産してゆきたいと考えています。
秋には緑色の葦原の中に深紫色の稲穂がが美しく垂れるはずです。

(豊葦原の瑞穂の国)

ひもろぎ庵の水田の周囲一帯もかつては水田でしたが、大部分はここ数十年間米作りをした形跡もなく、辺り一面に葦が生い茂っています。
このあたりはもともと湿地帯だったためか、稲作をやめるとあっという間に葦に覆われてしまうようです。
しかしそれは水田になる以前の本来の姿に戻っただけなのかもしれません。
神武紀の中で日本を「豊葦原の瑞穂の国」と称しているように、葦原は日本人の原風景のひとつです。

日本の稲作は奈良盆地(おそらくは桜井市の巻向付近)で始まったと考えられますが、そこも当時は一面に葦が生い茂る低湿地帯でした。
5月頃一斉に芽吹いた葦の若芽を男たちが踏み潰してトロトロになった泥の中に種籾を直播きしていたと言われています。
踏みつぶされた葦の若芽や腐食した過去の枯れ葦の堆積が稲が育つ栄養分になったのです。
葦を踏み潰す所作は相撲の四股踏みとなって現代に伝えられています。

(日本男子はすべからく稲作すべし)

「男」という字は田の力と書きます。
我々の文化圏においては、古来より水田で米作りをするのが男子の役割だったのです。
日本男子における心身の弱体化が問題になっている現在、男性性回復の真の特効薬は稲作をすることだと思います。
そこでは体力・根性・勇気・知恵・直観力・技・愛・宗教心・忍耐力・観察力など、失われてしまった男性としての多くの美徳が、読書や講義などの観念的作業によってではなく農作業の実践を通して育まれます。
健全な稲作の復興は食糧問題や汚染された食糧による健康問題の解決にも一役買うことでしょう。

(Y.S)

2019年6月

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