ホメオパシー Homeopathy

(1)ホメオパシー(相似療法)とは

ホメオパシー Homeopathy は「相似の病気」を意味するギリシャ語から作られた造語で、ドイツ人医師サミュエルハーネマン(Samuel Hahnemann 1755〜1843)によって命名され、体系化された自然医学です。ホメオパシーには4つの重要な基本原理があります。

1つ目は「相似の法則」で、「ある物質」が健常者に投与されて引きおこされる「症状」が存在するとき、「ある物質」はその「症状」とよく似た「症状」を持った人を癒すことができるというものです。例えば、就寝する前に濃いブラックコーヒーを飲むと、多くの人に興奮して眠れないという症状を引きおこしますが、コーヒーは興奮して寝付けない人に少量投与されると、不眠を解消するという作用を持っているのです。つまり、「ある物質が引きおこすことのできる症状は、その物質が治すことのできる症状である」というわけです。 別の言い方をすれば、あなたが「ある症状」で苦しんでいる時に「ある症状」を引きおこすことのできる物質があなたを治癒させる、ということです。頭痛を治すためには頭痛を引きおこすことのできる物質を、下痢を治すためには下痢を引きおこすことのできる物質をそれぞれレメディ(治療薬)として用いることによって健康が回復されるのです。ホメオパシーのレメディの多くが人間や生物に対して何らかの障害(症状)を引きおこすことのできる毒物(鉱物、植物、動物etc)を原料として作られているのはこのためです。

2つ目は「最少限投与の法則」で、2つの側面を持っています。それは

@単独のレメディを選択する

A1回に1粒のレメディを服用する、です。

3つ目は「極微量投与の法則」で原料物質に希釈と振盪を加えて段階的に活性化したレメディを用いることで原料物質の引きおこす物理的副作用を取り除き、物質の中に封印されている治癒的エネルギー(スピリット)が引き出されます。これは1回に1種類のレメディを1粒だけ服用することが、より安全で効果的な治癒をもたらすことを意味しています。近年日本におけるホメオパシーの普及に伴い、何種類ものレメディを同時、同日、短期間に、投与する方法が流行しているようですが後述するように、やり方によってはとても好ましくない結果をもたらしますので注意が必要です。

4つ目は「治癒の法則」で、ハーネマンの弟子であるコンスタンチン・へリングによって提唱されました。

@上から下へ

A内から外へ

B精神から感情、そして肉体へ

C重要な臓器からより重要でない臓器へ

D症状があらわれた順序とは時間的に逆のプロセスをたどる。の5つです。

@は肉体生命の中枢である脳幹(延髄、橋、中脳、間脳)に近い場所(立位における上部)から遠方(身体の下部)に向かって治癒することを

Aは臓器など重要な器官のある肉体の中心部(内部)から抹消(外側)へ病が押し出されてゆくことを

Bは先に心の問題が治癒し、次に体の問題が治癒する、あるいは心の問題が肉体へと押し出されて治癒することを

Cは生命を維持する上でより重要な臓器(心臓、肝臓、肺など)を守るために比較的重要でない臓器(胃、胆、腸など)に病を追いやること、

Dは比較的新しい病から先に治癒し、古い病の治癒は後になることを、それぞれ意味します。

(2)ホメオパシーの歴史

ホメオパシーの基本原理の一つである類似の法則(類似のものが類似のものを癒す)は、紀元前約400年頃にギリシャの医学者ヒポクラテスによって記述され、16世紀にはスイス人の錬金術師及び医師であったパラケルススの「特徴表示説」の中にその姿を見ることが出来ます。ホメオパシーに名前を与え、治療内容を体系化したのはドイツ人医師サミュエル・ハーネマン(Samuel Hahnemann 1755〜1843)です。生命を損なう過激な瀉血や水銀化合物の大量投与などが普通に行われていた当時の医療の非科学性と危険性に嫌気がさしたハーネマンは臨床から離れ、執筆や翻訳によって細々と生計を立てていましたが、1791年頃、キナ樹皮についての論文を英語から翻訳中に「キナ樹皮がマラリアに効果的である」という記載に興味を持ち、自らキナ樹皮を服用したのです。すると、動悸が強まって眠くなり、手足の先が冷たくなりました。そして、発熱と寒気や震えが交互にあらわれ、のどが渇き、脱力感におそわれました。これらの症状は2〜3時間続いて消えましたが、キナ樹皮を服用すると再びあらわれました。ハーネマンの体に起こった反応はマラリアの症状にそっくりでした。キナ樹皮によって治るはずの症状がキナ樹皮によって引き起こされたのです。こうして、似たものが似たものを癒すという類似療法(ホメオパシー)の第一歩が踏み出されましたが、それは真の健康回復を可能とする、真の医学の完成に向けての長い道のりの始まりでした。ハーネマンは88才まで生きた、その長い人生の中で、ホメオパシーの理論をより高度なものとして発展させるとともに、約100種類のレメディーと多くの後進を育て、現在のホメオパシーの基礎を築き上げたのです。

ホメオパシーは、ハーネマンが最初に臨床を行ったドイツを始めとするその周辺諸国や晩年を過ごしたフランスとその周辺諸国、そして、イギリス、アメリカ、インド、南米に広がってゆきました。

アメリカでは、J・T・ケントなどの偉大なホメオパスを輩出し、一時は西洋医学をしのぐほどの隆盛を誇りましたが、抗生物質の発見や医師会の巻き返しによって衰退してゆきました。20世紀後半になって再び脚光を浴びるようになり、現在では多くの愛用者によって支持されています。

インドでは、伝統医療であるアユルベーダの土壌に植民地時代に播種されたホメオパシーが見事に成長し、ガンジーの保護などもあって、多くのホメオパスが活躍しています。

オセアニアや南米、西欧、東欧、北欧、ロシアなどでも、ホメオパシーは盛んに行われていますが、東アジアはホメオパシー不毛地帯として今日に至ったわけです。

日本では明治時代以降に何度かもたらされた形跡があり、戦後にホメオパシー製薬会社を立ち上げた人や、ドイツでホメオパシーを学んで帰国した医師が何人か存在したようですが、ついに根づくことなく、ようやく1997年から日本におけるホメオパシーの黎明期が始まりました。日本のホメオパシー界はまだ産声をあげたばかりの赤ん坊レベルですが、開国後の目覚ましい近代化や敗戦後の奇跡的な復興に象徴される、日本人の持つある種の学習能力の高さによって短期間で欧米のレベルに追いつくことは可能かもしれません。しかし、そのためにはうわずみをかすめとるのではなく、基本からしっかり学ぶことが近道となることでしょう。